音遊び~オーディオのブログ

 ガレージで楽しむ古めのオーディオ

オーディオ評論家を評論してみる

 オーディオ評論家というのは評論を読む人に音を伝えることのできる、文章力の優れた人だと思う。

 

 試聴するのが一番だけれど全部聴いてみることはできない、そこで試聴記事を参考にするのだけれど音には多種多様な好みがある、文章で音を伝えようとするのはとても難しい。

 

 今ならYOUTUBEの動画でスピーカーやカートリッジの記事がたくさんあるけれど、他の機材が違えば比較にはならないし、そもそも音質が悪すぎてニュアンスまでは解らない、低音から高音までのエネルギーバランスはなんとなくわかる、ものもある。

 

 ネットの時代になって時々見るのは、昔評論家が絶賛したから買ったらだまされた!これが良いなんてあの評論家は耳が悪い!あいつはメーカーから金をもらっている!

 

 私はオーディオ評論家にお世話になったと思っているが、妄信して機材選びはしていないので嫌な思いはしていない。

 

 ネットでのアナログの試聴ネタは酷い物を見つけちゃうんだけど、ハイコンプライアンスとローコンプライアンスのカートリッジを、最近主流のローからミディアムコンプライアンスに合うアームでまとめて試聴するとか、そりゃ全然合っていないアームで使われたカートリッジの評価は良くなる筈がない。

 

 こういったネットに出回る「比較対象以外の条件を揃えようともしていない試聴比較」なんかよりは、古い記事でも条件を明記して音の好みを知っている評論家が比較した物の方がはるかに信頼できる。

 ただ、往々にして自分では買えない高価な機材を使われるので、それはそれで悔しかったりするけど(笑)

 

 音の好みは本当に様々で、自分と全く同じ音質が好きな評論家は存在しないだろう。けれど、評論家の好みの音質が解れば、自分の好みとの違いを考慮して、聴いたことのない製品の音を推測は出来る。そのために、特定の評論家が好む特徴や、好まない特徴を解っておけば良い。

 

 そして、この人が絶賛するなら自分好みではない、とか、この人がこういうならこんな感じの音だな、とか、この人の好むアンプはウチのスピーカーには合わないな 等々。とりとめのない事を考えつつオーディオ誌を楽しむわけです。

 

 1970年代から1980年代の初め頃、古株の評論家がいて、オーディオブームがあり新製品ラッシュに伴って雑誌が増え評論家の需要が多くなり出てきた若手がいて。

 でもまあ、全員わかろうとも思っていなかったので自作系と新製品紹介系の評論家は信頼がおけないので除いてました。

 そう考えると、当時記事を読んで参考にしていたのは10人にも満たないかな。

 

 その中で3人の個性の違う評論家がいて

 

 「音の好みは違うけれど使い方や辛口な評価と表現は解りやすく、悪いところを指摘しつつ、それを補うには、、、といった使いこなしにも言及するところはとても信頼できる」

 「音の好みがあっていると思うけれど、その記事は辛口ではなくオブラートに包んだ感じなので、言い回しに注意して音質評価は行間を読む必要がある」

 「音を文学的に表現する、音の雰囲気は解るけれど、製品としての音のイメージや特徴は文面からつかみにくい、でも、製品を実際に聴くと、なるほど!そういう事だな!と思える」

 

 同じ製品に対するこの3人の評論を読み、自分の中で噛み砕いてから購入商品を選んでいた。

 

 その少し後、1980年代も後半になると「えー、あんな事言ってた人がこんなに偉くなっちゃったの?」な事になっていて、音の好みが統一感が無くて解りにくく、記事を読むと商品を売るが為の「紹介記事」これが評論として扱われているのが少々滑稽。

 1990年代以降は評論家をカリスマ的に妄信する人が出てきたようで、今では当時一部の評論家が褒めた「それなりに良く出来た安物」がプレミアム価格になっている、それを今更ヤフオクで競って買っちゃった人の多くは後悔するだろうな。

 

 最近の評論家はあまり知りません。なので最新の製品の音が想像できず購入意欲が湧かない、財布にやさしい状態です(笑)

 昔お世話になった方は今の雑誌ではもう見かけませんが、その人たちの記事はインターネットの時代になっても「当時の物を当時聴いていた評論家の評論」として残っている。

 

 客観的には数値化が解りやすく一般受けがいい。特に日本人は昔からスペックに弱いんじゃないか。

 最近は測定が安価にできるので古い物を測ってネットにUPしてるのもみます、計測条件を明記して周波数特性やS/Nを測っていたりして、面倒な事やってる人がいるなと思ってるけどYOUTUBEだとアクセス稼ぎなのかな。面白そうではある。

 

 けれど、音質評価は主観、残念ながら数値で表す特性が必ずしも良い音を出してはくれない。

 

 評論家は「音の良さ」「オーディオの楽しさ」を伝えようとしてくれていました。